今朝見た夢は「クライマックス予告すらまさかのトリック!」みたいな見出しをつけた、今後もばり長期戦になりそうな話のネウロを読む夢でした。
そんなに終わるのが嫌か。わたしは。
・・・・・・・・・・・いやだけどさ。
夢には深層心理願望が現れる、という迷信を信じでもいい気になった初夏日和の春の日。
いやそれにしても夏日和過ぎやしませんかね・・・・。
昨日はるさんとぶらぶらしてた時も(ああ連れまわして申し訳がなかったです。でもあんまり出歩かせたくなかったのも本当だよ!!心配症なのは知っている。ごめんなさい)
今日なんかとみにひどい。日傘なしで歩きたくなかった。なんだあの日差し。
夜に聞こえる虫の声は、わたしの記憶によれば夏ごろに聞こえ始めていた気がするのだが。
・・・・・ちきゅーおんだんかー・・・・・。
わたしの根底にあるのはたぶん、相手を「否定しない」という理想。
たとえ肯定することができない相手でも、その人だけの、その人の在り方や考え方を否定しない。それはそれで存在するのだ、と認識すること。が、きっと理想。
どんな考え方も自由だと思う。理解不能なものも多いけれど共感の余地のあるものも多い。
ただしそれは、他人に迷惑のかからない範囲ならば。の話だが。
ただそれらが、私には認めがたい、決して「肯定」できる範囲には含まれない限りなく拒絶に近い「否定しない」であることだってある。
――――そう認められないんだ。どうしても。
わたしがしてはいけない、考えてはいけない、したくないなりたくない、反理想を多大に含んだあり様を。
どうしても認められない。みとめたく、ない。
見下してもいない。嘲笑うわけでもない。その後ろにうっすら見えるのは半歩ずらした自分だから、きっと。それが嫌だ。
だから、
だからこそ、
それと、
似ているんだと。
思われることは。
この上ない屈辱で。
吐き気がする。
そんなこと考えている自分に、一番嫌悪感を抱く、のだけれど。
さいていだ、と思う。
でもどこかが摩耗しきってもうだめなんだ。
疲れているんじゃない、困っているんじゃない。ただ擦り切れただけ。
多分今のわたしは、崖の下に突き落とすことに躊躇がない。できない。
それならそれでいいんじゃないかと思ってしまう。
突き落される覚悟がないならば許されないのに。覚悟もできない。
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