だということをよく知ってる。
「見栄っ張り」だって自分で認められるようになっただけ進歩かなぁ。
認めたくなかったから、以前は。
見栄っ張りだからこそ、自分のダメさとか、役立たずなところとか、本当に嫌になる。
どうやったって自分に不満のない人なんていないのだろうけど、どうしても、やっぱり受け入れられないと思う。自分のことなのに。
そんな見栄っ張りにかけて原稿はしあげた。
ただ最近、真剣にあそこに提出する意味がわかんない。
わたしは、自分が楽しむために書いてる。まわりのひとみたいに真剣に向き合ってないかもしれない。でも、「楽しむ」とか、「最低ラインは守る」とか「人の作品をきちんと尊敬する」とか自分のルールがあった。
あったはず、だった。たしかに。
私はたしかにあそこが好きで、書くことが好きで、
好き嫌いはあったけど、確かに周りのひとを尊敬してて、作品もすきだった。
どうしてなのかな。最近。それができない。
地味にストレス。私が悪いの?イライラする。もともと文芸に出すのが好きだった。あそこに載るのが嬉しかったし、楽しかった。それを見つけられない。どっかに何かおっことしてきたらしい。
お世辞、っていうただそれだけ。
すごいストレス。
人から見たら大したことないけれど、元来不器用で嘘が苦手な自分にとって、すごく辛い。すごくすごく。言われるのもきらいだし、言うのも辛い。なまじ、それらしく装えてしまうからなおのこと。よっぽどじゃなきゃ、バレない自信もある。できなくは、ないっていうのが、なお。
・・・・・そうやって装っているから人間不信に陥ってるくせに、いつまでも懲りない阿呆だ。
もう好きじゃないなら好きじゃないって言ってしまえばいいとおもうけれど。
それができないのが見栄っ張り、の派生みたいな、空気読みたい主義なのかなぁ、と思う。っていうか、最低限のルールでしょう、と止める理性さんがいる。それが私。そういう小心者で卑怯者。
はぁ。
普段は平気なんだけど思いだすとごろりと胃のあたりで転がりだす。しんどい。
地味なダメージ蓄積中で。
・・・・・ああ、だめだ、もう、文芸については愚痴しか出てこない。
ここに封印、封印。しばし閉じ込め。
落ち着いて熟成したころにもっかい考えたい、な。
人と話をするのはきらいじゃない。人の話を聞くのもきらいじゃない。
でも自分の話をするのはしぬほどきらいだ。
否、本質的にきらいではないんだと思う。多分。だって、見栄っ張りって自己顕示欲ありそうでしょう?そうなんじゃねぇかなぁ。実際いろいろしゃべってるしね。よくしゃべるし。無駄口多いし。
でもそういう時って、後でしにたくなる。いらないよな、って思う。相手の興味ないこと話してどうするよ、みたいな。思ってしまう。
嫌がられたんじゃないかなとかうっとうしいと思われたんじゃないかなとか、いつも不安になる。
そういう気弱でずるい。
分かってほしいとか、じゃなくて、単純に逃げたい。
相手の不快を避けていきたい、っていう思想がもろばれる。
最低だよなぁ、ほんと。
いつも誰かに問いかけられる。
あんたの話なんて何がおもしろいっていうの?
何勘違いしてんの、馬鹿じゃないの?
自分のこと話して楽しい?自慢?優越感?最低だよね。そんなあんたなんて嫌われて当然なの。必要とされなくて当然で、存在がおこがましい。
きらいだなぁ、やっぱり。しょうがないよね。
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